…と、以上が「フリースクールみなも」の大まかな説明でした。 しかし日本にはみなも以外にも多くのフリースクールがあり、またその活動はみなもと同じではなく、様々です。あえて言うなら「不登校の子どもが通っている」という共通点はありますが、実際に不登校の子どもが来て「何をしているのか」は、フリースクールによって違います。 では「フリースクール」とは何なのか、ここでは、ちょっとその歴史も含め「フリースクール」という言葉自体に少々触れてみたいと思います。 |
■「フリースクール」の元々の意味 |
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「フリースクール」という言葉は、元々は西洋のある教育手法を指す言葉でした。フリースクールの源流の一つとされているのは、1920年代にイギリスで開校された「サマーヒルスクール」。現在の日本の大半のフリースクールと違い、正規の私立学校として運営されています。 | |
サマーヒルスクールでは、やはり日本の多くのフリースクールと違い、通常の学校と同じように時間割があります。しかし、そのすべての授業について「参加・不参加の自由」が与えられています。希望する授業には参加するし、参加しない場合には工作室にいてもいいし、運動場に行ってもいいし、寮で本を読んでいても構いません。 |
イギリスのサマーヒルスクール |
○子どもが主人公の教育 | |
なぜそのような教育となっているのか、それは創始者A.S.ニイルの教育哲学によります。それは「子どもは、自分が興味のあることを、興味のある時に学んでこそ最もよく伸びる」というもの。教育の主人公はあくまで子ども本人であり、自分がどのように育ちたいのか、どんな人間になりたいのかを自分で決定する、そんな教育の場を目指してのことです。 |
サマーヒルの創始者A.S.ニイル |
○ミーティングによる学校自治 とはいえ、あらゆることが自由なわけではありません。この学校にも様々なルールがあります。 ただし、そのルールは「子どもも大人も平等の一票を持ったミーティング」によって決定されます。日本の学校で言う「校則」にあたるルールや、それに違反した時にペナルティ、また開催される学校行事等は、すべてこのミーティングで決定されます。 子ども達は、この自分たちで決定したルールの範囲において自由が認められます。決して無責任な自由奔放ではなく、フリースクールという小さな社会において、他の子どもたちや大人との関係を学んでいきます。 ○子どもを一人の人間として こうして見ると、一見楽園にも見える自由主義、「いかに育つか」を決定する権利と共に、その「自由」の扱い方と、小さな頃から向き合う教育の場と言えます。またある意味では、子どももまた一人の人間として、対等に関わり合う教育とも言えるでしょう。 |
■日本のフリースクール |
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一方、日本のフリースクールの起こりは1980年代。こちらは多くの方がご存じのように、不登校問題に端を発しています。 当時はまだ、現在のような不登校の子どもの行く場所がなく(現在でも多いとは言えませんが…)、子ども達は家庭にいるしかなかった時代でした。 そうした中、不登校の子どもを持つ保護者達が立ち上がり、そうした子どもたちが通うことのできる居場所を立ち上げました。 ではそうした子どもたちに望まれていた場はどういう場所だったか…。 そうした不登校の子ども達がまず困っていたのは、「同年代の友達と遊ぶ機会・場所がない」こと。大人の言い方で言えば「社会との接点がない」こと。日常子ども達が過ごすはずの学校には行けない、学校の子どもに会うのもつらいから、近所の集まりにも顔を出せない。つまりどこにも行き場所がないのです。 そうした子どもたちが望んだのは、まず何よりも不登校の子どもたちが気軽に集まり、安心して過ごせる場所。そのため、まずは学習であるとか、カリキュラムだとかにとらわれず、自由に過ごせる居場所でした。 しかしそうは言っても、長く場を開いていると子ども達から様々なニーズや要望が出てくるもの。こういうことがしたい、お出かけがしたい、そろそろ勉強もしてみたい…。 そのために活動内容をみんなで決めるミーティング、また希望者のみが参加する学習の時間などが生まれ、次第に居場所という機能だけでなく様々な役割を持つ場になりました。 そんなある日、誰かがあることに気がつきました。 「あれ、これってひょっとして、西洋の『フリースクール』ってやつと同じなんじゃね…?」 というわけで、いつしか、こうした居場所のことを皆が「フリースクール」と呼ぶようになりました。 |
■「フリースクール」という語への誤解と現実 |
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このような経緯があり、日本においても「フリースクール」という単語が知られるようになりました。しかしここで、新たな誤解が生まれました。 ここまでの歴史を振り返ると、日本におけるフリースクールの特徴は大きく二つ。 「西洋のフリースクールと似たような方針による教育(自由と自治)」と 「不登校の子どもの居場所」です。 しかし、日本でこの語が広まったとき、二つのうちの後者「不登校の子どもの居場所」という定義だけが一人歩きしてしまったのです。この後者の定義だけを知る人が新たにフリースクールを立ち上げ、その中には時として、元々の「西洋のフリースクール」とは大きく教育方針の離れた場所もありました。 これが現在の日本における「フリースクール」という語をとりまく状況です。つまり、 ・共通点は「不登校の子どもが通っている」こと ・実際に不登校の子どもが来て「何をしているのか」は場所によって違う これが日本の「フリースクール」です。その中には、西洋のフリースクールに倣った方針を取るところ、「居場所」の役割が中心であるところ、「学校に戻す」ことを主な目的としているところ……、と全く違う方針の場所が様々あり、そのすべてが「フリースクール」と名乗っています。 |
■「フリースクール」を選ぶために |
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さて、もしこれから通うフリースクールを探す人がこのページを読まれていたら、知っておいてほしいのは次のようなことです。 ・元々の「フリースクール」の意味は西洋で発祥した教育手法であり、それを意識したフリースクールも数多い。 ・しかし上記以外の教育方針を採る「フリースクール」も多く存在する。 (「違うからよくない」「同じだから素晴らしい」ということではありません。ただ同じ名前だから同じような場所、とは思わないように。) →「どういう方針の」フリースクールなのかを、自分の目でしっかり確かめた上で、自分に最も必要なフリースクールを選んで下さい。 |